武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

遠藤浩一先生を偲んで

 新年早々、遠藤浩一先生の訃報に接してから、遠藤浩一先生の事が頭をよぎります。
 遠藤先生からは、拓殖大学大学院地方政治行政科で半年だけでしたが、薫陶をうけましたし、意見交換をさせていただきました。警察・検察の暴走捜査の一件で、大学院どころではなくなり、半年しかじっくりと話をうかがう機会がありませんでした。
 お金と時間に多少でも余裕が出来たら、また、遠藤先生と語り合いたいと思っていただけに残念でした。
 遠藤先生は、戦後政治史、保守とは何か、あるべき姿について真剣に取り組んでおられました。そして、自主独立の日本を創らねばならないという信念を感じました。
 また、大変に雄弁な方でした。いろんな政治関係者と知己がありますが、遠藤先生ほど聴衆を魅了させる語り口の人はいないんじゃないかと思います。
 
 私が暴走捜査にあった時も、随分と心配してくださりました。
遠藤先生の叔父で評論家の遠藤欣之助氏が、最初に創価学会公明党の論評を始めた事。その後、勝てない選挙区で国政選挙に出馬することになったりと苦労した事などを話してくれました。公明党の悪事の追及するとひどい目にあう実例を教えてくれました。
 それに関連して、創価学会創始者牧口常三郎の「価値論」についても伺いました。人間の理想を「真善美」と普通は表現するが、牧口常三郎の「価値論」では、「利美善」と表現をしている。彼らは利を一番に考え行動するのだ。まさに、創価学会を母体にする公明党の行動の本質がどこにあるのか喝破されていました。それ以外に論評するところなんて無いのでしょう。
 遠藤先生は、当時の民主党政権の意思形成過程から、マニフェストなどなど、激烈に批判してました。民主党も、批判をしっかり受け止め、直すところは直し、反論するところは反論する事ができていれば、ここまでにはならなかったのではと思います。
 第2次安倍政権になって、第1次安倍政権の時とは、別人のように安定感があるのは、盟友であった遠藤浩一先生と政治のあるべき姿、日本のあるべき姿を雌伏の時期に大いに語り合い、学びあったからではないかなあと思います。遠藤先生は、急逝されましたが、急逝されたがゆえに、安倍総理の心の中で生きておられるように思います。
 
 そういえば、「政党のマニフェスト比較をしてきなさい!」と宿題を出された事がありました。
私は、公明党幸福実現党マニフェストを比較して、「自主独立、自主防衛を明確に打ち出しているのは幸福実現党だけでした。他の政党は日米同盟の深化と言ってアメリカ任せです。」と発表したら、
自主独立が信念の遠藤先生は非常に困った顔をして、「天目石さんらしいよね。」と苦笑いをしていました。
 
 数日前、古本屋で、遠藤欣之助氏の「創価学会公明党が政権のオーナーでいいのか」が目に留まり、購入しました。「天目石さん、これを読んだら。」と言われたような気がします。
 
  昨年末の南郷さんといい、遠藤先生といい、最近は、亡くなられた方との思い出が頭をよぎります。
いつでも会えると思っていると、後悔する年になってきたのかもしれません。