武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

ジャマメイシ 生ゴミ野郎! その1

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  数日前、こんな嫌がらせのハガキが届きました。
 達筆すぎて、何が書いてあるのかよく読めないし、文章自体が支離滅裂なので、なんとも言いようがないのです。
 でも、
 ジャマメイシ ったラク野郎
って、すごい言語感覚の持ち主だなあと思います。
 多分、中学校特進講座のおかしな契約と創価学会公明党の関係を追及してきたので、関係している方からなのでしょう。ジャマメイシという表現からも、私が邪魔でしょうがないという気持ちが伝わってきます。
 俄然やる気が出ましたので、今日は朝の7時前から、玉川上水駅で街頭演説をしてきました。

 冷静に考えていただきたいのですが、不正や汚職が発覚したら、普通は謝罪しませんか?関係者を処分しませんか?
 武蔵村山市は、中学校特進講座の従来の契約方法は問題があったとみとめたからこそ、今年度からプロポーザル方式になりました。
 創価学会公明党も普通なら、関係者を処分するなり、市民に謝罪するなりしてしかるべきです。もしくは、私が間違っているなら間違っている点を指摘すれば良い話です。
 日本は議会制民主主義の社会です。こういった事例が発覚したからこそ、公明党議員らが先頭に立って、100条委員会を設置して真相究明と再発防止を行えば信頼回復につながるのではないでしょうか?

 利権を指摘され、反省どころか、手を変え品を変え嫌がらせをしてくる。
本当に恐ろしい事だなあと思います。
 この結果が、真実の声をあげられない、言論弾圧のテロ社会に繋がっていきます。
 私自身は、前回、公明党の圧力による、検察警察の2年半もの長期暴走捜査を受けましたので、リアルに実感として持っています。そこまで、されたので、このような嫌がらせハガキが届くと、「利権追及の効果が出てきているので頑張ろう!」と思います。
 その2では、最近配布している活動報告を載せます。
 
 


妨害を乗り越え、利権のカラクリ 無事議会だよりに掲載!

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  数々の妨害がありましたが、無事、議会だよりに3月議会の私の討論が掲載されました。市民の皆様のお宅にも届いていることと思います。
 私の討論を一読していただければ、武蔵村山市に巣食う、利権構造と手口が分かっていただけると思います。
 池田大作や、公明党都議会議員谷村孝彦の実名を挙げたせいでしょうか?ここまで来るのは非常に大変でした。

 その1.3月28日、議会終了後、帰宅途中に議会事務局から呼び戻されました。議会事務局長より、私の討論について「予算と関係ないじゃないか!」などと、取り下げようとする意図がありありとうかがわれることを言われました。(後日、議会運営委員会にて、言論弾圧ではないか!と質したら、記憶にないと言われました。)
 ちなみに、定例会が終わると、発言の取り消しや訂正は一切出来ません。また、不自然な随意契約も市の予算、そのもので行われています。
 わざわざ、呼び戻す理由などどこにもありません!

 その2.議会報編集委員会にて、公明党と新政会(自民党系)より、「実名を挙げるのは問題だ。」とか、「市民が誤解するとマズイ。」などと、愚にもつかぬ理由で私の討論を直すように延々と議論することとなりました。
 ちなみに、公明党の討論にも目を通していただければ、藤野市長、公明党など実名が入っています。また、私は情報公開や現地に足を運んで追及している内容です。すべて真実で、憶測はどこにもありません。市民を誤解させているのはどちらでしょうか?

 中学校特進講座問題を追及してきて、創価学会公明党関係者が非常に密接に関与していることが分かりました。すると、まだ、ブログでも紹介していない様々な嫌がらせを受ける羽目になり、現在も受けています。
 いずれ、落ち着いたら、詳細をこちらで報告させていただきます。
 不正がばれても、反省の心が一つもないことがよくわかります。
 中川俊直議員は不倫がばれたら、自民党を離党するなど反省の意を示しました。すこしでも、見習ってほしいものです。

 以下、無事、議会だよりに掲載された討論原稿です。是非、お読みください。

 今回、予算に賛成するのは、利権ファーストよりも市民ファーストの姿勢が感じられたからです。
その象徴的な事例が、中学校特進講座事業の契約方法の改善です。この事業の受注業者は、市の関与する式典にて、池田大作の人間革命のフレーズを引用して挨拶をし、自宅には公明党谷村孝都議会議員のポスターを何枚も掲示しているという、特定団体政党の熱心な支援者とわかる人物が代表者でした。
そのような会社にだけ、市は中学校特進講座事業の相談をし、あろうことか特命随意契約を行っていました。加えて申し述べると、この業者が提出した見積書には内訳がなく、積算根拠が全く不明でした。それにも関わらず、市は金額交渉を一切せず、業者の言い値で契約しました。おまけに、この業者は市に業者登録すらしていませんでした。
武蔵村山市内には学習塾がいくつもあるのに、地域の学習塾には一切相談せず、このような市外業者と特命随意契約を続けてきたことに強い疑念を感じます。
 これが予算委員会の審議を通して、新年度より、契約方法が特命随意契約から、プロポーザル方式へと変更になることになりました。中学校に塾の先生を派遣して数学の補修授業を行うというのが中学校特進講座の事業内容です。生徒たちの学習意欲が向上し、学力向上につながるような良い提案をしてきた業者と契約を結ぶことで、武蔵村山の教育が充実してゆくことが期待できます。
 このように、問題点に勇気を持って改善する姿勢で、一つ一つの事業に取り組んでいっていただきたいと思います。一つの事例ではありますが、市民ファーストの改革の姿勢に共感し、賛成討論とします。

どこが暴言なんでしょうか?

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 議会事務局からFAXが届きました。市長への手紙の回答文です。
内容は、私のブログに「あまりにも暴言が多く、議員としての資質が問われかねないと思いますし・・・」云々と書かれています。
 私のブログの具体的に一体どこが暴言なのでしょうか?
 具体的に「暴言」とやらを指摘してもらわなければ分かりません。
 少なからず、私は情報公開などを重ねて情報を集めたうえでブログを書いています。
 私は、市議会の役目は、行政のチェック機能が一番大切だと考えています。おかしな税金の使われ方を指摘し、疑義を追及してゆくことが仕事だと考えています。
 追及してゆくと、利権に関与する関係者の姿が出てきます。ですので、そこまで指摘するようにしています。ただ、公人に対しては実名を挙げますが、個人に対しては実名までは出さないように気を付けています。
 
 先日も、武蔵砂川駅で、中学校特進講座など利権の話を街頭演説していましたら、「他党批判ではないか!他の人は挨拶だけしてるんだから挨拶してればよいんだ!」と絡まれました。
 私は、「行政のチェック機関として、具体的に不正を追及しているだけである。他党批判では全くない!市民の皆さんにお伝えしているだけである。」と返事をしました。
 
 直接言っていただければと思います。
 また、釈迦に説法かもしれませんが、日本の地方自治制度は二元代表制になっています。市長への手紙で「議員のブログが気に食わん!」と質問してもお門違いです。市長は議員の上司ではありませんから。
 
 
 

チベットでの自由行動

 またチベットネタです。ひとまず今回で最後です。ここ数日、1年間の武蔵村山市の入札経過調書を1件1件パソコンに打ち込んでいてくたびれたので息抜きの記事です。

 チベットでは、自由行動が制限されます。勝手に自由行動してトラブルになると旅行会社にペナルティがかかるかも?などということが地球の歩き方にまで書いてあります。そんなわけで恐る恐るでしたが、1月1日の元旦に、一人で自由行動をしてみました。
 
 一応、気を付けた点は、施設のチケット売り場でパスポート提示と「ガイドは?」と聞かれる場合があるので、その時トラブルが起きるかもしれない事です。その時はその時で、言葉が分からないふりして立ち去ればなんとかなるんではと考えました。あと、職務質問は面倒なので、ガイドブックは隠して、日本人とばれないようにと。

 ガイドがホテルの近所は散歩して良いと言っていたので、大幅に足を伸ばして、ポタラ宮のそばのチャクポリまで行ってみました。なんでも、ポタラ宮がすごく綺麗にみえる場所とのことでした。
 チケット売り場が閉まっていたし、ボディチェックもなかったので、そのまま展望台へ。
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                                     チャクポリの展望台 
 チャクポリとは薬師如来らしいです。展望台とは別にお寺があるらしいのですが、高山病も落ち着いてきたので、健康の仏様にお願いすることもありません。

 チャクポリの展望台のそばにお寺があったので、初詣と思って、展望台近くのお寺に行ってみました。中に入っていくと、椅子に座ったおじさんに、「20元」と言われ、チケットを受け取りました。おじさんは日向ぼっこしながらなので、「パスポート?」とか「ガイド?」とか面倒なことは言いませんでした。
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                               バター灯明ずらっと並んでました。
 さて、岩場に張り付いたお寺を参拝してポタラ宮近くまで戻ってくると、チベットに来て2人目の白人を見かけました。「あれ?外人さんの回りにガイドがいないぞ?」。おまけに、ガイドブックを広げて思案中のようでした。

 「チベットって、結構緩いかも?デプン寺まで行っちゃえ!」とガイドが案内してくれなかったデプン寺まで行ってみることにしました。デプン寺は、ラサ市の北西部の山の中腹にあります。ガイドブックでは市の中心から12キロとのこと。帰りの鉄道までのガイドとの待ち合わせ時間は午後4時40分。ちょうどお昼なのでなんとかなるだろうとバスに乗ってデプン寺に向かう事にしました。
 デプン寺はチベットの3大寺院の一つです。日本の比叡山みたいなものです。チベットに来るなんて一生に一度だからガイドに「行かないよ。」と言われて心残りだったのです。
 チベットもそうですが、中国の路線バスは1元か2元の統一運賃です。おまけに、バス停にきちんと路線図が掲示されているので不安なく乗れます。
おまけに、前日乗ったバスが、セラ寺からデプン寺の路線だったので同じものに終点まで乗れば良いだけです。

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 しかし、ラサ市北西部の湿地帯のところで降ろされちゃいました。何やら、白タクが客寄せしているのですが、よくわからないので、デプン寺の標識に沿って歩くことにしました。さっき、バスの中で「デプン寺まで3.2キロ」の標識を見たばかりのような気がするんだけどと思いながら。
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多分、参道です。

 デプン寺のバス停から参道らしき細い道を延々と30分も歩いて、ようやく入り口にたどり着きました。
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                          デプン寺のゲートをくぐっても何もありません。
 チケット代60元払って、ボディチェックを受けて中に入ってもお寺は影も形もありません。実はここからまだ30分も山道を歩いてようやくデプン寺に到着します。結局、1時間も歩かないとたどり着けません。デプン寺バス停の客引きは、お寺までの乗り合いタクシーだったようです。
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    後ろに見える大きな絵は、タンカ(仏教画)を展示する場所です。
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 デプン寺はとにかく広くて、山の斜面に建てられているのでヘトヘトです。

 すっかり歩き疲れて気が付かなかったのですが、なんら自由行動を咎められることもなく、デプン寺を拝観することができました。
 帰りも歩いてバス停まで戻り、中々来ないバスにやきもきしながら、ガイドとの待ち合わせ場所のホテルに戻ったら集合時間の10分前でした。
 高山病で食欲が無かったとは言え、結局、朝も昼も食べれませんでした。
  チベットでは自由行動がかなり制限されると覚悟していたのですが、思っていたほどではありませんでした。ただ、ラサ市外へ自由に行き来するには、長距離バスや鉄道のチケットが必要ですし、パスポートの提示が求められるので無理だと思います。
 自由行動が出来ると言っても、平壌と比べればです。

 あと、「フリーチベット!」とか叫ぶと、大騒動になるそうです。
 所詮、今回行ったのは、中国共産党が外国人に見せても問題ないエリアです。
 ラサ以外のほとんど外国人が足を踏み入れる事の無いチベットはどうなっているのだろうかと興味をそそられます。



ラサ市内の現状 チベット一人旅

 多田等観だったか、川口慧海の本での、チベットラサ市内の描写にこんなことが描かれていました。

 ラサ市内では、若い女性が燃料の牛糞を拾って歩いている。ライバルに取られないように、牛の後ろを女の子がくっついてゆき、そのうち直接受け止める。

 ・ラサの建物のトイレは気を付けないといけない。床に穴をあけているだけなので、注意しないと上の階から他人のうんちが降ってくる。

 名著だというのに、そんなところしか覚えておらず、のんびりしていて楽しそうなところだなあと思っていました。
 街に牛がいるかなあと期待していたのですが、今や車で大渋滞でした。土地柄か4駆が目立ちました。
 それ以上に、やたら目につくのが、中国共産党の旗です。

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                ポタラ宮のたなびく中国共産党五星紅旗

 

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           このように、街頭の電柱まで五星紅旗です。

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 チベット人の方たちが熱心に五体投地で祈りをささげる大昭寺(ジョカン寺)の入り口です。チベット仏教の原点とも言えるお寺の屋根に翻っていたのも、中国共産党五星紅旗でした。
 わかりづらいかもしれませんが、屋根の丸い金色の輪の隣に立っているのが、五星紅旗です。
 毛沢東は「宗教はアヘンだ。」と蔑んでいたのに、厚顔無恥だなあと思います。もっとも、当時のチベットの坊さんの中には、「金を出さないとバチが当たるぞ!」などと、人々を惑わす悪徳坊主がいたことも事実で、毛沢東の言うことも一理あるとは思います。21世紀の日本ですら、「選挙は功徳。」といっている一味がいますから、毛沢東も草場の陰で呆れていることでしょう。
 でも、毛沢東文化大革命大躍進運動といったもの自体が新手の宗教そのもので、人民を惑わすアヘンであったと思います。毛沢東共産主義革命というカルトの後始末に苦労しているのが現在の中国のように思います。だから、中国共産党と「選挙は功徳。」の一味はカルト同士で気が合うのかもしれないですね。
 あちこちで、「和偕!和偕!」というスローガンをやたら目にしましたが、所詮、カルトによる侵略にしか映りませんでした。
 本当に和偕がうまくいっているなら、街のあちこちでボディチェックをする必要はありませんから!
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     このような警察がボディチェックする場所があちこちにあります。

 ボディチェックを受けないと中に通れないはずなんですが、高山病でフラフラしていた私は、うっかり、出口を通って中に入ってしまいましたが注意一つされませんでした。
 若い警官同士でおしゃべりしていたり、全く緊張感はありません。また、ボディチェックではライターを押収していました。多分、焼身自殺対策なのだと思います。中国共産党は、とにかく、チベット僧らの抗議の焼身自殺を恐れているとのことです。今は、ユーチューブなどで即、全世界に拡散されてしまいます。
 でも、どのお寺でも灯明があるので、ライターを押収しても、抗議の焼身自殺をするときはすると思います。とにかく、中国共産党は「チベットの実態を隠したい!」。だから、外国人には、入境許可証やガイドなどを付けて、来させないようにしているのでしょう。私がいた4日間で、日本人とは逢いませんでしたし、見かけた白人はわずかに2名だけでした。とにかく、外国人の姿はありません。
 ちなみに、私の入境許可証はラサ市内だけです。市外の入境許可証となると、また値段が跳ね上がります。本当のチベットの姿は中々見ることができません。
 聞いた話ですが、焼身自殺などがあると、モミ消して和偕をアピールするために、インフラ整備などをドカーーンと進めるそうです。現在は、夏河で急激な開発が進んでいると聞きました。
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ラサ駅周辺の開発状況です。
 その開発状況ですが、特にラサ駅周辺では、高層ビルがドンドンと建設されていました。でも、まだ空家ばかりのように見受けました。今でも空家ばかりなのに、高層ビルをどんどん建設していて将来大丈夫なの?と思います。
 強引な移住政策で、高層ビルを埋めたとして、水不足は起きないのでしょうか?ラサ市は川沿いの街とは言え、心もとなく感じました。また、1959年に中国共産党人民解放軍チベットを侵略したときに、深刻な食糧不足が起きてます。鉄道やトラックで無理して運び込むつもりなのでしょうか。

 人類史上最悪の大量虐殺集団の中国共産党が、「和偕!」をアピールして、開発を進めても、世界は「侵略!」としか見ません。

 チベットの独立、もしくは、ダライラマ14世が求める高度な自治を認めれば、世界は中国共産党への見方を多少変えるのにと思います。

 最後に、和偕政策の呼びかけに応じて、亡命先のダラムサラから帰ってくるチベット人が多数いるそうです。でも、チベットに戻るとパスポートを取り上げられて、カゴの中の鳥のような状態になってしまうとのことです。
 おまけに、農村戸籍では都会に出て働くこともできず、行き詰ってしまっている人がたくさんいるとのことでした。
 まさに、北朝鮮の帰国事業のような悲劇が、21世紀の現在、進行しています。




 

酸素をケチる青蔵鉄道! チベットでの高山病の症状

 チベット高原は世界の屋根と言われるようなところです。ラサは標高3600m。ほとんど富士山と一緒です。また、青蔵鉄道では途中のタングラ峠では5000mを超えます。身をもって高山病を体験しました。

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 成都駅にて、これから44時間の青蔵鉄道の出発です。標高600mぐらいです。

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出発から約40時間後のナクチュ駅にて標高は4400mほど。列車は与圧しているというのは触れ込みだけで、顔はむくみ、コンタクトレンズが外れず白目に張り付いてしまい、このまま治らなかったらと…。顔も体もむくんだようで全然眠れず。
 ただ、列車内で酸素供給だけはしてくれていたので、「4400mって意外と平気かも?」と大きな勘違いをしながらの一枚。

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   おやつにと思ったミニどら焼き破裂しそうなほどパンパンです。

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                     到着初日

ラサに到着し、宿のそばのジョカン寺のバルコル(参拝路)にて。地元の皆さんは、バルコルを時計回りに周回しながら参拝をします。私はひどい頭痛に耐えながら、「えらい所に来てしまった!」と病人のようにヨボヨボと一緒に回ってみました。この日も頭痛でほとんど眠れません。

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                   到着2日目

 ポタラ宮はラサの中心の小高い丘のてっぺんにあります。117mも登らないといけません。写真は中間地点ぐらいでぐったりしているところです。
 でも、いくらか高地順応出来てきたらしく、前日よりはかなり動けるようになってきました。コンタクトレンズが取れなくなると面倒なので眼鏡です。
 ホテルからポタラ宮やジョカン寺をガイドの案内で歩きました。ただ、この晩、頭痛は治ったのですが肩が凝って痛くて、またまた寝られませんでした。

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                    到着3日目
 かなり高度順応してきたようで、地元の人たちが歩く速さと同じくらいで歩けるようになりました。顔つきも普通になってきました。
 河口慧海や多田等観が学んだセラ寺でお坊さんたちが問答をしてます。この場所で河口慧海や多田等観も問答をしていたんだなあと感慨深いです。
 この晩からようやく寝付けるようになりました。ただ、寝たと思っても2時間ぐらいで、ひどい頭痛になって目が覚めてしまいます。普通の睡眠時の呼吸では空気が薄いので、呼吸が浅くなってしまうのかもしれません。
 結局あまり眠れませんでした。

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                到着4日目 帰る日
 帰りの列車は午後6時30分、ガイドが迎えに来るのは午後4時40分。本当はホテル周辺の散策しか許されていないのですが、無口な中国人を装って、バスに乗り、ラサ郊外のデプン寺まで来てしまいました。
 「デプン寺に行きたい!」とガイドに言っても拒否された理由は行ってみてわかりました。デプン寺バス停とデプン寺は歩くと1時間もかかるんです。おまけにデプン寺は山の中腹なので、ひたすら登坂です。地元の人はバス停にたむろしている乗り合いタクシーで登っていくのですが、私は後でその事に気づき、気づいた時は自力で登山するしかありませんでした。多分、高さにして300m程度は上ったと思います。
 4日目になると、「もう高度順応完璧!余裕、余裕。」と思っていました。

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 ラサ発成都行きの列車に再び乗り込みました。しかし、帰りは下界に降りる列車の為か、酸素供給をしてくれません。5000mの峠を越えるというのに!与圧無し、酸素無しなので、どんどん顔を体もむくんできます。ガンガンと頭痛が酷くなってゆきます。「死人が出るんじゃないか。それは自分のことかも?」などと思いながら、水分補給を心掛け、寝台に伏せてました。写真を撮る余裕も無いです。
 5000mのタングラ峠を超えるとそこからは標高が下がってゆくので、だんだんと楽になり、そのうち眠る事が出来ました。
 朝になってみたら、山越えの時に飲んでいたペットボトルのお茶はご覧のようにペチャンコになっていました。

 Wikipediaでは、青蔵鉄道は与圧してあって、標高3000mぐらいの気圧にはしてあると記述してありますが、私の乗った列車はそんな上品なサービスはありませんでした。
 向かいのコンパートメントの中国人の小学生の女の子とおばあちゃんも、苦しんでいました。
 でも、標高5000mの世界を経験できる貴重な機会だと思います。
 ただ残念なのは、成都~ラサの列車だと、往復ともにチベット高原を夜通過してしまいます。景色が見れたら気がまぎれたのにと思います。





意外と可能! チベット一人旅 その1

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  チベットは、ご存知の方も多いかと思いますが、ものすごく入国が面倒な地域です。中国共産党に侵略されて以来約60年!
 60年も経つのですから、北京や上海から気軽に行けるかと思うと簡単では無く、チベット自治区に入るには入境許可証が必要です。この入境許可証も、中国大使館に申請すれば数日で取れるというものでなく、旅行代理店を通して現地の役所に申請しないといけません。おまけに、値段もはっきりしません。
 15年来、チベットに行きたいなあと思っていたのですが、ツアー代金は馬鹿高いし、個人で一人旅をしようとすると一体どれぐらいの金額になるのか見当もつかず諦めていました。多分、30万円ぐらいはかかっちゃうんじゃないでしょうか?
 そんな時、東チベット旅行倶楽部というホームページに行き当たりました。

  
徳田さんという方が個人的にやっているサイトで、数千円で入境許可証から青蔵鉄道のチケットの手配までやってくれるとのこと!
 「本当に可能なの?マジか!」と思いましたが、ダメ元でメールをしてみました。すると、早速返事が来て、あれよあれよという間に、無事、青蔵鉄道のチケットを確保!出発の数日前には入境許可証も発行されました。

 旅行代金は、ツアー代 3130元(ガイド代+入境許可証)
         青蔵鉄道 2202元(軟臥 成都~ラサ往復) でした。
 
 当初、12月29日にラサ入りして、1月2日に帰ろうと思って見積もってもらったところ、4000元以上の金額を提示されました。そこで、1日減らした上に、「ポタラ宮など外から見るだけで中には入らないから、ガイドは要らない!」と言ったら、いきなり約1000元下がり3130元となりました。ちなみに、武蔵村山市の中学校特進講座と一緒で、見積の内訳は分かりません。現地の旅行会社が足元を見て値段を決めているようです。
 ちなみに、チベットでは観光しようがしまいが、外国人には必ずガイドを付けなくていけません。「なんで付きまとわれた上に、食費から交通費まで面倒見ないといけないんだよ!」と思いましたが仕方がありません。
 北朝鮮ぐらい不便なのを覚悟していました。
 いざ、ラサに到着してみると、私についてくれたガイドは実直そうなチベット人の男性でした。おまけに、タクシーは使わず、バスか徒歩。食事は、チベット人向きの食堂ということで、より、チベット人の生活を垣間見ることができました。
 また、敬虔なチベット仏教徒で、ポタラ宮や寺院では、非常に熱心に仏像の説明をしてくれました。また、セラ寺で修業をした川口慧海や多田等観の話題を振ると嬉しそうに説明してくれましたが、「ダライラマと握手したことがあるよ。」とか、「日本人はチベットを応援してるぞ!」とかという話を振ってもスルーされてしまいました。
 中国共産党に侵略され、占領され自由を奪われた悲しみを感じました。
 ガイドですが、一日中同行するという訳でなく、案内が終わったら帰ってしまいます。ですので、その後はラサ市内を自由に行動することが出来ました。高山病でつらいので、最初はホテルの周辺だけでしたが、帰る日は夕方まで時間があったので、バスに乗って郊外のデプン寺まで出掛ける事ができました。
 もっと街中、緊張感があってピリピリしていると思ったのですが、SWATはハンバーガー屋でおしゃべりしているし、ボディチェックの警官も、男女でキャッキャッとはしゃいでいました。だいたい、私が高山病でヨロヨロしながら、間違えて出口からゲートを通っちゃっても、何も言われませんでした。
 映画「この世界の片隅に」では、戦争中なのに意外とのんびりした呉での生活を描いてますが、ラサってあんな感じなのかもしれません。
 これから、ポチポチとラサで見てきたことを書いていきます。