31日に両国国技館にて、ダライラマ法王の法話が行われました。今まで、チベットの高僧の法話を聞く機会は何度かありましたが、ダライラマ法王の話を聞くのは初めてでしたので、とても楽しみにして両国国技館に向かいました。
演題は「さとりへ導く3つの心と発菩提心」という内容です。
講演は、同時通訳ではなく、法王の法話を逐次通訳していく方法でした。通訳の方はものすごく優秀な方で、立て板に水で仏教用語を交えながら通訳をされてゆきました。
指を捻挫しているのでメモも取れず、録音もしていないので、記憶をたどりながら記します。肝心の部分が抜けていたりするとおもいますが、印象に残った話を記しますと・・・。
「意識とは何か?自我とは何か?意識はどこから始まり、どこで終わるのか?」という話をされました。
法王の話では、キリスト教など世界は神が創ったと考える宗教では、自我の始まりと終わりがあるが、仏教では、始まりもなければ終わりも無いと考えるのだそうです。
また「自分とは何を指しますか?頭でしょうか。体のことでしょうか?」と問いかけられました。
ダライラマ法王の答えは「五蘊の上に乗っているだけである。」というような話をされていました。
されていたようだというのも、法王の「空」や「五蘊」という概念の話を聞きながら、頭の中でイメージしていると、意識が中有(パルド)の世界に入ってしまい分からなくなってしまったからです。
※単に、私が居眠りしてしまっただけです。チベット仏教で中有は居眠りの事ではありません。この世とあの世の間の場所です。
周りを見回すと、私と同じく考え込みながら居眠りをしている人も結構いました。
仏教の話だけでなく、「いろいろな教えを学びなさい。その事によって他者の立場になって考える事が出来るようになります。その上で、自分に一番あった教えを学びなさい。」と話されました。
法話の後、会場からの質問コーナーになりました。チベットやウイグルの独立に関する質問など多くの質問がでましたが、法王が一番心を込めて答えてられていたのは、若い女性からの次のような質問でした。
「私は、自分が好きになれません。どうしたら良いでしょう。」
法王は「あなたは、楽しいなあと思う時は自分の事が嫌いですか?そんな事はないでしょう。その時々に左右されます。自分が嫌いだという事は無いんですよ。」と答えれました。
いろんな人が質問されましたが、自分自身の悩みを質問されたのはこの人だけだったように思います。
だから、ダライラマも心を込めて答えられたように思いました。
さて、本日1日は、ダライラマと科学者との対話との事です。