先日、ダライラマ法王の法話を聞きに行った時に、「B TIBET 09」という催しのチラシをもらったので21日の午後、護国寺まで行ってきました。
私はちょっと遅れてしまって会場に着いたときは、ゲシェー・チャンパ・ドンドゥプ゚師による「聖なるブッダの教え、慈悲と智慧」という法話は始まってしまっていました。
自我や空などの話をされていましたが、私の理解力のなさと、逐次通訳なのでどうしても集中力が途切れてしまいます。でも、先日のダライラマ法王の法話と重なる部分もあったので少しづつ理解が進むかもしれません。
いつもながら、チベット語をよどみなく通訳する通訳者の方はすごいなあと思って見ていました。
この程度の感想しか書けないのですから、結局理解には程遠い状態でした。
第2部は平岡宏一先生の「チベット密教の世界」という講演でした。平岡先生のお話は以前、明るい社会づくり運動の事務所で行われた講演会でうかがったことがあります。前回と違って、今回はパワーポイントでチベット密教の秘密集会タントラの事や、風(ルン)や死に至る過程などなど、出来れば1年かけて講義してもらった方が良いのにと思うほど中身の濃い講演でした。
平岡先生が訳されたチベット死者の書も読んではいるのですが、奥が深すぎて、「そうか分かった!」とはなかなかなりません。
家に帰って勉強しようと、数日前購入した多田等観の「チベット滞在記」を読み始めました。偉いお坊さんの書いた難しい本かと覚悟したのですが、全然違っていました。どんな内容かというと、時は明治45年、弱冠21歳の多田青年が運命のいたずらで、当時鎖国をしていたチベットへ単身修行に行くことになるという話です。
まだ、途中までしか読んでませんが、今晩は明け方までこの本を読む事になりそうです。
戦前のチベット旅行記はどれも命がけで、血湧き肉踊る大冒険の数々ばかりなのですが、とても牧歌的で心が和みます。
秋田出身の多田等観青年が初来日したチベットのお坊さん達に日本語を教えた所、秋田弁になってしまいお坊さん達を招いた西本願寺の大谷管長とは会話にならなかったというエピソードには笑ってしまいました。多田等観は10年もチベットにいましたから、戦前、チベットの外交官は秋田弁を使って日本と外交交渉していたのかもしれません。
私は、どうもチベット仏教よりも、チベット探検記の方に興味が惹かれてしまいます。
今回の参加者の中には、「チベット独立!中国共産党のチベット人虐殺反対!」というデモや集会で会う人は見かけませんでした。
チベットが好きな人にも、チベット仏教が好きな人。チベット情勢に関心がある人。あと、チベット探検記が好きな人とタイプが分かれているようです。