武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

鳩山一郎に戦争の政治責任は無いのか!

 16日に、武蔵村山市の慰霊祭が行われました。武蔵村山市でも先の大戦で数百名の方が帰らぬ人となっています。大南地域にあった少年飛行兵学校から出陣された方を含めると千名をはるかにこえる方が戦争で亡くなっていると思われます。

 式典の最中、どうして戦争への道を突き進んでしまったかと言う事を考えていました。戦前は、軍国主義で暗黒の時代だったと一言で片付ける人がいますが、それは不勉強極まりない話です。自由民権運動大正デモクラシーと自由と民主主義の活動は連綿と続いていたではないですか。

 私は日本が軍国主義になり、戦争への道を開いた政治家は鳩山総理の祖父 鳩山一郎だと考えます。


 鳩山一郎は、1930年 統帥権干犯発言を行いました。軍の統帥権天皇陛下の権限であるから、国会で軍に関しては議論は出来ないという話です。この発言以降、国会は軍へのチェック機能を果たせなくなりました。
 私は、この発言が日本を戦争へ道へと方向付けたと考えています。鳩山一郎のこのような軽率な発言の行き着くところが約400万人もの人びとの命を奪う事になりました。

 慰霊祭で奉られている方達にも未来があったはずです。

 孫の由紀夫総理には、言葉の重みを歴史から実感して欲しいものです。

 戦争が終わると、猫も杓子も軍部に抵抗したと適当な事を言いましたが、胸を張ってそういう事が言えるのは「粛軍演説」、「反軍演説」をされた斎藤隆夫だけではないかと思います。反軍演説の結果、斎藤議員は議会を除名となってしまいます。彼の除名の議案に反対したのは芦田均をはじめわずか7名。軍部に抵抗し、戦争に反対したと言える議員は、ここまででしょう。

 鳩山一郎はどういう投票行動をとったのでしょうか? 


 鳩山一郎氏は、1938年に「世界の顔 外遊日記」という後にヒトラー礼賛本と呼ばれる本を出版しています。日本の武士道とナチスとは似ているところがあるのだそうです。
 この本の出版や滝川事件などが影響して、戦後、総理の座を目前にして公職追放されてしまいます。


 今度は戦後の話です。戦後、造船疑獄という汚職事件がおきました。造船業界が佐藤栄作に2000万円賄賂を渡したという事件です。
 しかし、この2000万円。佐藤栄作が使ってしまった訳ではありません。吉田茂の指示で、鳩山一郎に届けられたと言います。選挙に惨敗して借金に窮していた鳩山は、この2000万円のおかげで、音羽御殿を売らずにすみました。
 鳩山一郎吉田茂からの2000万円の出所を聞かなかった事を良い事に、佐藤栄作に造船疑獄を責め立てるのでした。


?H1>日本を戦争へと導き


?H1>ヒトラーを礼賛し


?H1>戦後は裏金を懐に入れて知らんぷり


 私は、鳩山家の友愛精神というものにどうしても共感できません。


 それでも、鳩山は平和の鳩と言えますか?