武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

金日成の銅像前で不貞腐れる(北朝鮮旅行2日目)

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 早朝、真っ暗な内からこっそり目を覚ましました。

 理由は、短波放送しおかぜの傍受のため。

 調査会から聞いてきた周波数にあわせてなんとか傍受を試ます。

 「ビーーーー!」という雑音と、「タン・タン・タン・タン・タン・タン!」という連続音が混じった音しか拾えない。

 調査会の村尾さんから聞かせてもらった典型的な妨害電波と同じ音!

 腐れ北朝鮮め!妨害電波を出す余裕があったら他にすることがあるだろうに!

 集合時間に、ロビーに下りてゆくと、「天目石さん、朝鮮語の勉強は進みましたか?」。しおかぜを傍受しようとして、ハングルの放送ばかり受信したり、妨害電波でしおかぜ受信に失敗した事を知ってるのだろうか?

 北朝鮮旅行では、彼らの都合で勝手に予定が変更になります。当初、板門店見学だったが、急遽、平壌観光に変更、今回の目玉の一つ「祝賀サーカス」は急遽中止!

 「なんじゃそりゃ!」である。突然、大相撲で力士が全員休場しちゃうようなものです。ありえない事が起こる国、北朝鮮。さすが、犯罪国家。

 ガイド(監視員)より、「まず、皆さんに北朝鮮建国の父 金日成主席に献花していただきます。」、不愉快なので私は黙っている。花売りの所まで行き、「皆さん、花代を一人500円づつお願いします。」とガイドがいうので、「冗談じゃねー!」と語気を強く言うと、金ガイド(監視員)がたじろぎ、「それでは、献花は皆さんで一つと言う事でー。」と言う事になってしまう。

 さて、続いての実験をやってみる。

 実験4.金日成の前でファイティングポーズ取って写真を撮る。

 私以外は、北朝鮮バカボンのパパに献花しに行く。さすがに金日成銅像はでかい。李ガイド(監視員)に頼んで、写真を撮ってもらう。シャッターを押すのが北朝鮮関係者なので、不貞腐れるのがせいぜい。

 という訳で、実験4は失敗。残念!

 李(監視員)に、「こんなもの作るぐらいなら、自転車作ればみんな歩かなくて済むじゃない?」と聞いてみると。「主席も最初は反対されたのですが、人民の気持ちで作りました。」との事。「結局、作らせたんだろ。国民も食わせられないのに最低の政治家だな!」と言っておく。

 親北リピーターから「金丸先生も献花したのに・・・」とそれとなく文句を言うので、「金丸信のやりそうな事だ!山梨に銅像立てたかったんじゃないの。その程度の男だ!」と吐き捨てると黙る。

 次に行ったのは、金日成の生家 万景台。そして、万景峰を登る。とにかく100年前の建物とは思えない綺麗な生家だった。塗りなおしたのかもしれないが?現地日本語ガイドが、金日成主席若き日のドラマチックなお涙頂戴の話を展開する。あまりに胡散臭いので適当に聞き流す。
 あまりの可笑しさに「馬鹿言ってんじゃないよ!」という噴飯物のエピソードが語られました。
 水がめが3つならんでいて、一つだけ真っ黒でひしゃげた水がめが一つ展示してあります。この真っ黒い水がめが主人公です。

 金日成伝説 「真っ黒い水がめ」

 金日成主席の祖父母は、あるとき水がめを買おうと思ってお店に行きました。すると、このひしゃげた形の悪い水がめを見つけました。かわいそうに。この水がめを誰も買わないだろう。こんな形の悪い水がめだからこそあえて買って大事に使ってあげよう。主席の祖父母はこの水がめを買って大事に使いました。主席は、物を大事に使う。そして、何者も大切にやさしく接する心を祖父母から学んだのです。

 心温まる童話に仕上がってます。

 でもね!

 普通、水がめの形がひしゃげてしまったら、土を練り直して作り直すだろうよ!

 こんな、ひしゃげた水がめを焼くだけ炉のスペースと炭の無駄だろうよ!

 北朝鮮の洗脳は、こんな与太話さえ信じ込んでしまうのだろうか?だから、ひしゃげた水がめのような使い物にならない男を首領様と崇めているのか!

 馬鹿話を聞いたあと、土産物屋にゆきましたが、店内は凍えるほど寒い。欲しい物など一つも無く、万景峰に登ります。ただの丘なので、登るなんていう立派なものではありません。10分弱で頂上です。
 本当に景色の良いすがすがしい所です。松林の中で自然が一杯です。だいたい、万景台の生家の周りには家が一軒も見当たりません。大自然の懐です。

 金日成が偉くなりすぎたので、こいつといっしょに遊んだ友達の家はみんな強制移転させられたのでしょうか?

 かわいそうに・・・。まさに恩を仇で返すという言葉の通りです。

 朝鮮半島反日歴史観の原点 ここにあり です。

 万景峰を降りると、若き金日成、旅立ちの時を描いたモニュメントの前にバスが止まっています。

 金日成の幼少時は胡散臭いエピソードに事欠きません。このモニュメントは2つある旅立ち伝説のどちらか一つです。

 金日成伝説 「千里を越えて」 

 小さい頃、両親と中国の八道溝に金成柱(金日成の本名)は引っ越してました。金日成10歳の時、父はこう言いました。
 「成柱よ。朝鮮に帰り人民の苦難を学んできなさい。そうすれば、自分の成すべき事を悟るであろう。」
 成柱は時には猛獣の出る人跡まれな山河を越えて、14日かけて万景台の祖母が住む家まで帰ったのでした。

 10歳の子にこんな事させたら今なら児童虐待です。

 金日成伝説 「解放への旅立ち」

 万景台に帰り2年、金少年は一生懸命勉強しました。金少年のもとに父が日本警察に逮捕されたとの知らせが届きました。金少年は、「祖国が解放されるまで、二度と戻るまい。」と悲壮な覚悟を決めて、再び真冬の鴨緑江を渡り、八道溝へと旅立ちました。金主席の数々の抗日活動はここから始まります。

 あのさー。この2年間学んだ時の、チャンドク学校の同級生って誰かいるの?

 次は、祖国解放勝利記念館。とてつもなくでかい建物。80も展示スペースがあるので、その内の幾つかだけ見学します。まず見せられたのは巨大ジオラマ。内容はアメリカ軍の猛攻に劣勢を強いられている仲間を救うために命がけで弾薬を届けるトラック部隊の話。日本語のナレーションなので分かりやすい。全く朝鮮なまりの無い日本語なので、この女性ナレーターはひょっとして拉致被害者の方なのかも。
 「薄れ行く意識の中、同志よ!頼む!この弾薬を待っている仲間達に届けておくれ!」笑っちゃうぐらいの戦意高揚! アメリカ帝国主義の走狗め!まってろよ! という感じです。

 「ナレーターを何処から攫ってきたんだ?」と監視員に聞いておけば良かった。

 「朝鮮戦争米帝の侵略である!」という説明の展示ブースを見たあと、また、回転劇場型の巨大ジオラマ。このために専用の建物を増設していました。まるで。丘の上に立って戦場を眺めているような不思議な光景。人民軍の技術を結集して1年半かかったというのも肯けます。
 
 しかし、こんな物作る時間と金があったら別にすることがあるだろう! つくづく感じる。