武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

日台共栄への寄稿文

 日本李登輝友の会の機関紙、日台共栄2月号に寄稿させていただきました。友の会より、昨年末の台湾戦没者慰霊祭について書くようにという依頼され、「さて、何を書いたらよかろうか?」と悩み、数日、締め切りを遅れたのですが、李登輝元総統からうかがった話とを絡めながらまとめました。ご一読ください。
 以下、寄稿した文章です。
 緑色にしてブログに掲載しているのは、台湾旗が緑色だからです。
 
昨年の年の瀬、125日に、靖国神社にて、台湾出身戦没者慰霊祭が行われました。参加者は、台湾出身者で実際に従軍された方、台湾人の方、また多くの日本人を含め、約50名での昇殿参拝となりました。
今回は、慰霊祭の前に開催された李登輝学校日本校友会の理事長を拝命したため、私は代表者として参拝をさせていただきました。
日本李登輝友の会 柚原事務局長のお話では、つい10年ほど前まで台湾出身戦没者靖国神社に祀られている事は台湾は言わずもがな、日本ですら知られていなかったのだそうです。日本李登輝友の会の呼びかけで、台湾出身戦没者慰霊祭を行うようになった事に加えて、3年程前に李登輝元総統が参拝されて以来、台湾でも知られるようになり、今では多くの台湾人の方達が参拝されるようになっています。
靖国神社昇殿参拝された方はご存知と思いますが、本殿には鏡が一枚あるだけです。私は、鏡を通して、日本のために命を捧げた先人に想いをはせながら、以前、李登輝学校で李登輝先生のおっしゃっていた話を思い出していました。
「戦争中、自分は20歳まで生きる事はないだろうと思っていた。そこで、一体、生とは何か?死とは何か?と徹底的に突き詰めて考えてみた。西田哲学や鈴木大拙などを限られた時間の中で必死に学んだ。」と話をされていました靖国神社に眠る英霊も、李登輝先生と同じように、精神的な葛藤や複雑な思いを持って出征されていったのでありましょう靖国神社というと、A級戦犯合祀の是非、首相参拝の是非などばかりが取り上げられますが、そこに、靖国神社に眠る方々への思いが全く欠如しているのは悲しい事です。
また、李登輝先生は、「私であって私でない私」という事や「実践哲学なんだよ!」というお話をされます。私は、「私心を捨てて社会のために、まず自ら行動しなさい。」という意味であろうと解釈しています。私自身も日々の生活の中で心がけていますが、言うは易し行なうは難しで、反省することばかりです。
そして、「私は聖書に行き着きました。」ともおっしゃいます。李登輝先生の言う「聖書に行き着く。」とは一体どういう事なのでしょうか?しばらく、どういう事を意味するのか分からなかったのですが、私なりに理解するのは、「赦し」という事でないかと思います。社会にはいろいろな不条理があり、葛藤もある怒りもある。それでも赦すという事でないかと思います。赦し、癒すということが李登輝先生の言う「聖書に行き着く」という事なのではないだろうかと思います。
靖国神社は、若くして国のために命を失った方たちを祀る悲劇の神社です。夢や希望を絶たれ、命を中途で失った悲しみや苦しみ、嘆きで、本来なら非常に沈鬱で重苦しい場所であるはずです。しかし、行ってみると凛とした清清しさを感じても、沈鬱さは感じません。不条理や悲しみ、苦しみといった葛藤を「赦し」、そして「癒し」へと昇華しているがゆえに、凛とした清清しさを感じさせ、過度に押し付けがましかったり、説教臭くなく、自然に世界平和を祈る場所となっているのではないでしょうか。私は、李登輝先生がおっしゃる話が靖国神社では胸にストンと落ちるように思います。
台湾出身戦没者の方たちは、李登輝先生と同世代の方々です。李登輝先生が、私たちに語りかけて下さる言葉は、時空を超えて靖国神社に眠る多くの英霊が語りかけている言葉のようです。。李登輝先生から学びながら、日本と台湾の友好、日本を始め東アジアの平和や人権問題に対して、「実践哲学」で取り組んでゆかなくてはと台湾出身戦没者慰霊祭に参加させていただき、改めて考えました。
このたび、片木先輩より、李登輝学校日本校友会の理事長をやるようにとご指名をいただきました。何分、浅学非才ではありますので、所先輩の皆様から学ばせていただき、1年半という任期を終えた時には、及第点をいただけるように頑張ってゆきたいと思います。  よろしくお願いいたします。