武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

議員報酬は少なく、議員は多くという理由。

 議員報酬を上げるか否かと多くの方達から意見をいただき大変参考になっています。個人的には、議員報酬は少なく、議員数は多い方が、より民意を反映できるのではと考えています。理由としては、議員報酬が少なければ、他に仕事を持ったざる負えなくなる。すると、それだけいろんな職業の人の声を市政に反映することが出来る。また、議員数が多ければ、より多くの意見を市政に反映することが出来るからです。基本的に議員の多種多様性が市政を活発化させると思います。
 また、「市議会は平日昼間に行われて議員になんかなれないよ。」という方の民意を反映するためには、夜間議会や休日議会などで対応すれば良いと考えています。

 なぜ、私がこう考えるに至ったかといいますと・・。

 ある時、国会議員の人たちと話をしていました。彼らはこんな議論をしていました。
 
 A「最近、不景気で、うちの後援会の印刷会社の社長が大変だっていつも言うんだよ。景気対策をきちんと考えなきゃ駄目だ!」

 B「そうそう、うちの地元の商店も売り上げが落ちてしまって、どうしようもないと嘆いていたよ!」

 この議論って、変だと思いませんか?

 だって、全部、他人事なんですから!

 国会議員で、借金で首が回らなくなって自己破産した人がいますか?夜逃げした人がいますか?
 
 どんなに景気が悪かろうが、所詮他人事なんです。我が事ではありません。

 年収3千万円で、黒塗りの車の迎えが来る人たちです。いくら庶民の立場で政策実現と言っても、庶民の生活など想像の域での議論です。

 市議会議員も同じです。額面では800万弱いただいてますが、そこから議員共済を約100万円強制的に天引きされます。そこから経費などもかかりますから、家賃補助も出ない会社の年収5~600万円ぐらいのサラリーマンといったところでしょうか。

 私は、国会では年収3000万の生活感覚の発想しか出ないし、市議会では年収5~600万の生活感覚からの発想しか出来ないと思います。

 理想論かもしれませんが、市議会には年収100万の人も2000万円の人も対等に議論をするようになるべきなのではないかと思います。それが、議論に多様性と深みを生み出すはずです。

 地方議会制度論には、アメリカの一部の自治体で採用している専門職化させるべきという議論もあります。ですので、議員報酬を上げて、議員数を減らすという議論もあながち間違っている訳ではありません。でも、私はより多く議員の多様な意見を反映するヨーロッパ型の今の制度の方が良いと思っています。

 以上のような理由で、

 ・議員報酬は少なくてよい。あげる必然性は、まして無い。

 ・議員数を削減する必要はない。議会制民主主義への暴挙である。

 と一貫して主張しています。
 普通、議員削減に反対すると選挙に不利になります。議事録や議会だよりに残っていますが、私は議員定数削減に反対討論までしました。