6月1日に行われた後藤新平賞授賞式に行ってきました。台湾団結連盟のネクタイを締め、胸には李登輝学校のバッチを付けて行きました。
会場の国際文化会館は、多くのマスコミとSPであふれてました。私が会場に着いた直後、李登輝前総統が会場入り! 携帯のカメラのスイッチを入れたのですが、シャッターが切れません。慌てて動画設定にしてしまってました。
「しまった!」と取り直そうとしている間に、李登輝前総統は私の前をゆっくりとあるいて行かれました。
後藤新平賞授賞式での、李登輝先生の講演時間は、当初の30分より長く、40分ほどになりました。
演題は「後藤新平と私」。
まずは、後藤新平の生涯を語る事から講演が始まりました。後藤新平が、何時、どこで生まれたか。どのような経歴をたどったのかと、淡々と後藤新平の略歴だけを読み上げてました。
李登輝さんの見識を皆聞きたがっているのに・・・ まさかこれで終わるのでは?
と少し、落胆しながら聞いていますと・・・。
後藤新平が、台湾でどのような政策を行ったか。また、どのような発想で取り組んだかを語りはじめました。台湾開発に当たって、初期条件を整える事が一番大切だと力説されました。
後藤新平が取り組んだ事
1.人事の刷新
・やる気の無い役人の首を切って、新渡戸稲造など新進気鋭のやる気のある者に任せた。
2.土卑撲滅対策
・捕まえて殺すという土卑(原住民)対策を、投降策に転換し、投降してきた土卑に道路工事などの仕事を与え、政情の安定化とインフラ整備を同時に行った。
3.地方自治制度の確立
・よく聞き取れませんでしたが、自治会をもっと洗練したようなものを作ったようです。
4.地方に医師を配置
5.教育の充実
6.台湾公債の発行
・台湾公債を発行し、専売制にした樟脳などの売り上げで償還した。この資金で、基隆~高雄の鉄道を建設した。
7.度量衡制度の確立
このような、後藤新平の行った初期条件の設定があったからこそ、台湾開発は成功し、現在の台湾の隆盛につながっている。後藤新平との精神的なつながりを非常に感じているとも述べておられました。
後藤新平は「大風呂敷の政治家」と称されるが、実は非常に緻密に計算と思慮深い政治家であると、認識を新たにしました。
このあと、講演は佳境に入ります。
後藤新平は、台湾を去り、満州建設に取り組む事になります。もし、中国大陸のアモイ開発から南進していたら歴史はどのように変わっただろうか?
また、政治家論として、
政治家には2種類いる。
1.権力掌握を目指す者
2.政策実現など、仕事を指向する者
そして、仕事を指向する者は堕落しない。しかし、権力にはつけない。
最後に、後藤新平と李登輝の共通点として、共に強い信仰心を持っていると述べられて、講演はおわりました。
強い信仰心から生まれる公共心に突き動かされ、政治・行政に取り組んできたことがよくわかりました。宗教心・信仰心の大切さを感じました。
でも、政教一致と話題になるあの政党関係者。「庶民の王様!」(?)と豪語するあの人は、なぜ、李登輝氏と会わないのでしょうか?ダライラマと会わないのでしょうか?
なのに、「宗教は阿片!」の中国共産党とは、ニュースに出るほど親しく懇談するし不思議です。大先生は30年以上も懇談しても、中国共産党は法輪講の臓器狩り、チベット・東トルキスタンでの虐殺が続いています。
どうしてなんでしょうか?彼らに何を伝えているんでしょうか?