日本の未来を考える会の例会に参加してきました。介護保険の勉強会だったのですが、三多摩格差の話題と三多摩の歴史の話題になりました。
三多摩地域は1893年に神奈川県から東京都に編入されます。私は、五日市憲法やら自由党やらの政治運動を抑えるために東京に編入と聞いてました。
しかし、本当は東京の水利権が一番の問題だったのではないか?という議論になりました。
玉川上水や多摩川という東京の生命線を、別の自治体には出来なかった。まして、その地域は政府に強く意見を言う地域だったのだから。
今の玉川上水を見ても、ちょっとした小川でしかありません。でも、昔は江戸の生命線でものすごい水量が流れていたそうです。
太宰治が入水自殺したぐらいですから。
今では、どう頑張っても入水自殺は出来そうにありません。
玉川兄弟は1年で玉川上水をつくりましたが、とてつもなく凄いことだったんだとあらためて感じました。
「三多摩は東京ではないという意識はいまだにあるから、地下鉄は1メートルだって23区から出ないんじゃないのか。」と言われました。
その昔、丸の内線を荻窪から延伸して武蔵村山まで通すという話がありました。しかし、新青梅街道の地下で岩盤の地層があったので中止になったと聞いて、「そうなんだ。」と勝手に納得してました。
でも、岩盤だから中止って、よく考えたら屁理屈です。高架にすれば良いんですから。
三多摩格差は過去の話と思ってましたが、気が付かないだけで、厳然としてあるんですね。