日本の伝統と文化の要である伊勢神宮の大切な行事ですので、誰でも参加出来るという訳ではありません。伊勢神宮の地元の方、神領民だけ参加する事が出来ます。なぜ、私が参加できるのかというと、縁があって一日神領民となったからです。
縁というのは、昨年の警察・検察の暴走捜査の事で、本当に心身共に助けていただいている犬塚博英さんからのお誘いでした。
12月に伊勢神宮の五十鈴川で水行体験をした話などを覚えてくださっていたからではないかと思います。私の水行体験はせいぜい1、2分程度です。一方、犬塚さんの禊行は30分にも及ぶとの事。プールで目を開けれるようになった小学生とオリンピックスイマーぐらい差があるのに、足を引っ張りはしないだろうかと・・・。
当初、お白石持ちについて聞いていたことは、
「ものすごく大変だ!」
「表に出ていないが、長い歴史で事故死した人もいるらしい。」
ということでした。
そこで、私がイメージしたお白石持ちは次のようなものです。
大八車に白石を天高く積み上げ、ゼエゼエと息を切らしながら炎天下、伊勢市内を練り歩きます。しかし、日ごろの運動不足から力尽き、大八車に轢かれた上に、バラバラと崩れ落ちた白石に生き埋めになってしまう私の姿でした。
真冬に30分の禊行をこなすような、突き抜けた精神力と体力が無いとこなせない行事だと思っていました。後で、資料をいただき、そこまで大変ではないらしいと理解してのぞみました。
一日神領民となった大湊町会の参加者は6000人との事でした。
私が神領民になった大湊町の参加者だけで6000人。お白石持ち全体では20万人もの参加者になるとの事でした。修行に修行を重ねないとことなせないという訳では無いとちょっと安心しました。
お白石を積んだ山車をおかげ横丁のはずれの駐車場から、約一キロほど引っ張るのですが、その前に注意事項!
「綱が暴れるので、気をつけるように!」
なんでも、山車は2本の綱で引くのですが、右に左にと暴れてしまい、引きずられたり、絡まったりして事故が起こるらしいのです。
結構、ビクビクしながら綱を持ってみると、私の向かいで綱を握っていたのは、お母さんに手を引かれた5歳ぐらいの男の子でした。
「ワーッ」と掛け声とともに、向かいの綱を絡めたり、交換したり。
考えるまでも無いのですが、綱が勝手に暴れる訳でありません。綱を持ったもの同志でタックルしあったりしたら、そりゃ事故になります。
大湊町の山車は6番目でした。ということは、私たちの前で何万人もの人が山車を
引っ張っていることになります。ですので、山車を引っ張るよりも待ち時間の方がはるかに長い事になります。最初は、あまりに暑いので、ちょっとアイス休憩などしていたのですが、そのうち利き酒まで。犬塚さんからは「お昼ご飯は食べれないかもしれないから覚悟しておくように。」との事だったのですが、結構つまみ食いを!
ホテルで同室だった、盛さん、水谷さんは炎天下ずーっと警備をされている姿に心苦しくなり、「すみません!伊勢うどんたべちゃいました。」と言ったら、「こっちも干物屋で試食しましたから。あんまり暑いのでペットボトルの水を頭からかけたらリンゴ味で困っちゃいましたよ。」との事。
翌日の新聞では、この日のお白石持ちで救急搬送された方は24名!
殺人的な暑さでした。
お白石です。
山車引きのあと、いよいよお白石持ちです。皆で運んだ石を一人ひとつづつ、大事に白布で包み、正殿まで運んで行きます。
余りの炎天下で、朦朧としながら、「20年前、この石を運んだ人はどんなひとだったのだろうか?」、「40年前は?100年前は?1000年前は?」、「100年後、この石を運ぶ人はどんなひとだろうか?」と考えていました。
20年にたった1度だけ人の手に触れられるお白石。歴史の深さに打ちのめされるような思いがしました。
ですが、その神域は、各々が、たった一つだけ運んだ白石を敷き詰めてはじめて完成する。そして、そこが、日本の精神性の中心になる。
お白石持ちに参加させていただいて20日ほどになりますが、次回のお白石持ちまで20年。折にふれ想い出し、日本の伝統や文化、精神について思索してゆくのだと思います。