武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

報道の影響で、落込んで寝込みそうです。

 「落選したさえない中年男が悶々としてブログに中傷記事で書類送検」といった報道がされて以降、多くの方が「おまえはそんな人物ではない!負けるな!」と励ましの言葉をいただいています。
 涙が出るほどうれしいです。
 でも、どうしようもなく落込んでしまっています。
 
 家宅捜索の一件で会社を辞め、友人のところで細々とアルバイトをしていました。
しかし、今回の報道で、「天目石さんの人柄は良くわかっているけど・・・・・」と。家宅捜索を受けた件は伝えてあったのですが・・・。
 こちらも辞めざるおえなくなりました。
 落選して、すっかり清貧が板につきましたし、多少の貯金はあるので、すぐ路頭に迷う事はありません。でも、ほんのちょっとした事でいいんです。一切、社会の役にたっていないと思うとつらいです。
 李登輝元総統は「私であって私でない私」という事をおっしゃいます。「私心を捨てて、まずは社会のお役に立ちなさい。」という考えです。言い換えると役に立てない事ほどつらい事はありません。
 
 昨晩、すっかり落込んでいますと、創価学会を信仰している友人から電話が掛かってきました。落込んでいる理由を話すと、ずーっと耳を傾けてくれました。
「天目石さん、あなたは正義で不正を追及しているんです。大丈夫です。」ということを
仏教の観点から励ましてくれました。天は見ているというような話をしてくれました。また、「人間が生きるには、頼られていると実感する事が必要なんです。落込むことは心が健康な証ですよ。」と教えてくれました。
 ちょっと、宗教の話をうかがったので、寝ながら、「イエスキリストはただ人助けをしていただけなのに、安息日に人助けをしたという理由で磔になってしまった。彼は思い悩まなかったんだろうか?」と考えていました。
 朝起きて、聖書を読んでみましたが、イエスキリストは自身の死が明確に見えている上、神を確信しているので悩んでいません。
 私はというと、すっかり落込んでいます。
 
 明日までに、大学院のレポートを仕上げないといけないので、なんとか自分を奮い立たせないとと思います。