武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

李登輝元総統講演録 その2(1月25日 地方議員訪台団との会見にて)

 1月25日の李登輝元総統の講演録の続きです。

 台湾の主体性、日本と台湾は、どのように中国と付き合うべきかを示唆されています。


 台湾の主体性を語るとき中国との関係を避けて通る事は出来ません。私は中国について旧姓高等学校時代に徹底的に教えられました。私が高等学校1年生の時には、中国史というのがありまして、中国史の先生、非常にね真面目な中国史の先生でした。帰られてから亡くなったそうです。この先生から中国史を学んだ。中国の歴史5000年の歴史の中、いわゆる4000年、4500年の歴史は1時間で終えたんです。だいたい皇帝制度だから、これ、1時間で話ができる。法統制という形で結局、皇帝がどうやって治めてゆくかと。自分の個人の財産と地位と勢力をかためるため。それ以外何もやっていない。こういうような事で私は大学に入ったとき、中国はいったい5000年の歴史、中国人一人当たりの所得はいくらなのか?手を入れて研究してみましたが100ドルにならなかった。100ドルになってない。今、1000何ドルで世界の1000何ドル近くなっているけど、これはそのうちまた私はプログレス、デプレッシャスと言ってね。 発展・退歩 発展、退歩する。体制が変えなければ退歩する。それが結局5000年の歴史だった。私が習った中国史というのはアヘン戦争以降の100何年と言う小さな歴史だから、それによって中国の基本的な問題はどこにあるかという事を教えられた。5000年に及ぶ中国の歴史は単に皇帝の名前・王朝の名前が変わっているに過ぎません。この王朝の歴史を法統と彼らは言い、悪政を行った皇帝を倒し、新たな皇帝が統治を行いましたが、それを託古改正、信託の託ね。いにしえの託古改正、託古。黒板が無いから29階には黒板があるからね。すぐ書きますよ。皆さん人が少ないから、その教室を使っていない。託古改正といいます。託古改正とは、本来あるべき姿にもどるという事を言います。私に言わせれば、中国の歴史は託古不改正の連続に過ぎません。実は変えてないんだよ。託古不改正だよ。 これについては魯迅が詳しく語っています。魯迅ね。魯迅、日本留学のお医者さんで、途中で、中国に帰ってね、いわゆるその阿Q世伝という、本を書いたのは魯迅でしょ。これは目に見えない、目に見えない壁に幽閉された中で、何度も繰り返し上映されている芝居である。国の中でらせん状に前身しているつまらない芝居である。全然国は進歩していない。らせん状でそこでぐるぐる回っている。進歩したかと思ったら退歩、退歩したかと思ったら進歩、こういう形で回っている。そして法律的には結局いわゆる法統という形で、これは目に見えない。見えない壁、時間と空間、それすべてが一つの壁になってしまっている。人間はその中でね、時間も無ければ空間も無い。これ面白いね。哲学的に皆さん考えてください。時間と空間の壁に幽閉された中で何度も繰り返し上演されている芝居です。中国の歴史は芝居ですよ。ね。幻の思想、幻の思想 中華思想に囲まれてその中をぐるぐる回っているのに過ぎないのです。ですから中国人には私は誰だと言う問いも無ければ、誰か分かってもいません。言い換えれば、自らの精神の確信が無い。だからお金を儲ければ良い。人は騙しても良いという発想になってしまいます。
 だから、孔子が、孔子が曰くでしょ。生を知らずしてなんで死を知るか。仏教においては、我々に人は人間は死ぬことが一番大事だとね、仏教ではね生きる上に何をすべきかじゃなくて、「早く死ぬことを考えろ。」というのがいわゆる仏教なんだね。中国は儒教の思想を宣伝しますが、実は余り役にたってはいないのです。また中国を研究する日本人の学者の論文がたくさんありますが、正直な研究者が多くて、中国文化の本質をみていないように思います。私は日本の教育を受け、そして中国社会で生きてきましたからそれが良く分かるのです。
 私が総統になったころ、認識台湾という中学校の教科書が出版され、台湾の歴史が国史として初めて位置づけられました。それまで、台湾は中国の法統に支配され、託古改正が息づかれていましたが、その束縛から脱して、台湾は主体性のある民主国家に転換したのです。つまり、託古改新、いにしえを脱して新たに変えてゆく託古改新の台湾アイデンティティを確立したのです。これが、私の12年間における民主化、いわゆる血をながさずして、あの独裁的な体制から自由と民主的な社会に持ってゆく。あの、東京外国語大学の井尻教授はこれを名づけて、台湾経験と。
 もう一つは台湾という国の法的地位が無い上で外国とあちこちと外交をやってく。正常な形じゃないの。台湾というのは非常にこういう、非常に正常化した中に置かれていない。だから、台湾の政治の正常化、正常化は我々の努力してやらなきゃいけない仕事だと思っております。
 台湾は、あとで、また申し上げますが、「台湾をいかにして変えてゆくか。」というその努力というのは人に頼るのではなくて内部でやらなくてはならない。明治維新と同じだ。近年、大陸中国の急速な経済発展を眼前にして、台湾の人の自信がゆらいでいるように見えます。もうお金儲けするなら上海に行くべきだ。もの食べるなら上海が一番いいと。こういう考え方で非常にゆらいでいる。台湾の指導者はどこに向かっているのかという座標軸を打ちたて、その中で中台関係を位置づけるべきなのですが、それをやっていない。
 武者小路の「君は君、我は我なり。されど仲良き」という言葉が想起されます。「君は君、我は我。」という姿勢でけじめをつけて中国と付き合うことが現実です。そのためにあらためて台湾と言う我を問い直し、自分達の運命は自分達で決めてゆく心構えと備えが必要でしょう。
 だから私も日本の政府に対して、民主党政府、結局、中国とどういう関係に持ってゆくか。「日本は日本。中国は中国。」そこには結局けじめのある関係を作らなくっちゃいけない。はっきりしない。日本の政府の政治は、今の台湾の政治と似通っている。はっきりしていない。
 私がいつもね、皆さんに対してこういう事いうのはおかしいけどね。最近、日本銀行はいけない。あれだけ人民を苦しめている。今でもまだ改革しようとしない。・・の比率、お金は全部タンスにいれて持ち出せない。そして財政的な面で大きな計画を立て、どうやっていくかと言う事をかんがえていない。
 1985年プラザ合意によって日本円のいわゆる、この上昇があった。「250円から150円に上げろ。」そういう命令を受けた時に考えがはっきりしなかった。インフレーションになるという事しらなかった。日本円これだけ上げてます。外国株どっさりと、どっさりとお金が入ってくる。お金が入ってくるとお金をどう処分するか。日本銀行は考えなかったよ。だからもう、日本の紙幣をどんどん発行して、日本紙幣を発行して急にバブルに、インフレーションになった。そして土地も上がる。家も上がる。株も上がる。もう銀行はもう大変だな。もう大インフレのもとで、もう金を貸しっぱなしにして、結局不良債権が増えてゆく。1991年にはもうバブルで埋まってしまった。銀行はもう動けなくなっていしまった。 この状態を今も考えている。今、違うんだ。今、逆の方向の状態にあるんだよ。ね。不景気、不景気でね。その状態の中で今でもまだ、利率がゼロでインフレーションになるのが怖くて、今、インフレーションになるの問題じゃないんだよ。デフレで困っているんだ。日本は。今、物価は下がり、失業者は増える。こういう状態の中に日本銀行は何をしているのかな。私もおかしいと思う。
 総理大臣は銀行に対し総裁をいつでも早く代えるべきじゃないかと私は思うんだ。日本はね、あんたがたみたいな若い世界的に有名な学者がいっぱいおるんだよ。そういう人達にね、話を言わせるんだ。例えば今、いわゆるロンドンスクールだとかケンブリッジにおるだとかね、アメリカにたくさん有名な日本の学者がおる。私も知っている良い友達とたくさんつきあっておる。そういう人を日本は使わないんだよ。「おかしいなあ。」と私ね、どうしてくだらない人を政府の役人にしたり総理大臣にしてね。坊ちゃんの総理大臣じゃね、人民の苦しいの分からないのよ。ね。人民がどういう苦しい生活してるか分からないのよ。これが結局、私の言ういわゆる明治維新の平成維新を日本はやらなくちゃもうやっていけないんだよ。
 ね。年取った人を・・にしていい福利をあげて、そして彼らの持っているお金をね、ちゃんと高い利息で、あの銀行に持ち出して、そして日本であるいは世界でいろんなところで投資をやって、こういう事をやらないと困るじゃないかと。
 これが私、昨年の9月5日、日比谷公園で講演した話、これなんですよ。つまり、あのいわゆる竜馬の船中八策に基づいた、私の若い皆さんにお話したいこと。こういうテーマでお話したわけよ。結局、八か条、船中八策ですよ。それに基づいて今どうすべきか!それはものすごい条件が変わっているよ。あの坂本龍馬時代と今の日本と全然、経済・外交ね。それから国防からすべて変わっているんですよ。変わっているからこそ、非常に有能な人が出てきて指導しなくてはならないんだ。その時期に入ってきている。だから、私その時こんな事を言ったのですよ。武者小路の「君は君。我は我なり。されど仲良き。」という言葉が想起されます。「君は君。我は我。」という姿勢、けじめをつけて中国とつきあう事が現実的です。民主党は協和体、東アジア共同体という理論を出して誰のためにこれをやっているのか!私、分からないんですよ。中国人のためになる。中国人笑っておる。日本は・・な事やってるなあと笑ってるんですよ。そのためにはあらためて台湾と言う我を問い質し、台湾というのは何だ自分達の運命は自分達で決めているという心構えと備えが必要でしょう。囲碁で例えれば、意志の無い単なる駒にならず、意志のある指し手になるという姿勢が無ければ、巨大中国を前にして台湾の活路は開ける事は無いでしょう。
 呉清源が日本に行って15.6歳ごろ、日本に行って日本のいわゆる碁の先生と歩いた。呉清源というのは台湾のね、あの時おった天才だな。15.6歳で日本ではもう5,6段ぐらいの段を持っていた。日本では9段の何とかという有名な先生と碁をやった。15.6歳の子供のくせに彼は、彼はもちろん黒を持って、先生は白を持つ。じゃあ黒を持ったから、彼の一目は天目に置いた。天目に。大先生怒り出した。なんだ!この小僧め!天目に。いわゆるその駒を置くことだよね。石を置くと。彼はね呉清源は意思をもっておる。これ、天下を決めるんだよ。中心に置けばね、相手はね、こっちの意志どこにあるかわからないから、碁というのは。後で日本の碁が近代碁に移り変わってゆくのは、この碁によって現代の、近代碁が出来上がった訳です。打つ駒、一つ一つに、目的、指名を持たせる。意志を持たせる。非常に大切な事だ。ね。
 小沢一郎は七段を持っているからこれをやったから政権を握ったよ。ところがこれが日本のためでなく自分のため、日本のために打てば偉いと私は思うが、はたしてそういう風にやるかしら。
 
・・・・講演録その3に続く・・・