武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

海角七号は奥が深い!

 あけましておめでとうございます。ブログの更新がすっかり遅くなりました。正月明けに、台湾映画「海角七号」を見て、あまりの奥の深さにうなっていました。今日は、サウンドトラックのCDを落としたipodを、携帯電話と勘違いして会社に行ってしまったくらいです。

 海角七号が上映している映画館は、銀座 和光の裏のシネスイッチ銀座。私が大学生になって最初のバイトがシネスイッチ銀座でのキップのもぎりでした。シネスイッチ銀座はちょっとお上品な映画を掛ける映画館なので、バイトを止めてからはすっかり足が遠のき、約20年ぶりにたずねました。
 当時、白い大理石を基調とした内装だったのが、茶色いシックな内装に改装されていて、時の移ろいを感じました。椅子もずっと良くなっていて、当時と変わっていないのはトイレの便器ぐらいでした。
 バイト当時、上映していた「木村家のひとびと」の脚本家の一色伸幸さんが、心配そうに客の入りを見にちょくちょく来てられました。メチャクチャ面白くて、パンフレットに一色さんのサインを書いて頂いた事もありました。昨年末、一色伸幸さんの著作「うつから帰ってきました。」を読み、うつ病で苦労されていた事を知り胸が痛みました。
 映画館のバイトは女の子たちが多かったのですが、彼女たちには「モーリス」や「失われた殺人の記録」なんて映画の方が評判が良かったです。私はどちらも、つまらなくて途中で見るのを止めたのを覚えています。「全然面白くない!」と正直に言うと、「芸術センスがない。」などとからかわれた思い出があります。

 話はそれてしまいましたが、海角七号は、約60年前、日本の台湾統治が終わって、内地に帰る事になった男が、台湾人の恋人に宛てた7通のラブレターのゆくえと、世代も民族もバラバラで、それぞれの人生の苦悩を背負った人達が、にわかバンドを結成させられ奮闘する話です。
 台湾では、「海角七号を何回見た?」というのが挨拶になるほどヒットしたと言いますが、映画の中に深いメッセージが込められていて、見るたびに「そういう意味があったのか?」と気付かされます。
 中国では、「政治色が濃い!」とカットされて公開されましたが、表面的にカットしても、海角七号の本質はカットできません。そんな映画です。

 例えば、内地に帰る事になった男が、日本国を表し、残された彼女の友子さんは台湾を表しているように思えます。
 最初、日本から来た男は教師、台湾人の友子さんは生徒という関係です。友子さんが卒業するころには二人は恋人になる。そして離れたくないのに、無理に引き離されてしまいます。
 日本が台湾統治を始め、産業振興、教育制度、行政機構を整備し、マラリアが蔓延し首狩りが行われていた台湾の近代化が完成し、日本と台湾は切っても切れない関係になった時に、日本は戦争に負け、台湾を手放さなくてはならなくなった歴史とオーバーラップします。

 映画の中で七通のラブレターが読まれます。一度見るだけでは、昔の恋人にあてた手紙ですが、一言一言をかみ締めると、日本と台湾、お互いが最も大切な国で、想いがあっても国交を結ぶ事が出来ないもどかしさと哀しみが表現されている事に気がつき、胸に迫るものがあります。
 「何回見た?」と台湾の方たちが挨拶をするというのは、この映画の中に隠された複雑な繊細な想いは見直して初めて、浮き上がってくるからでしょう。


 また、日本人歌手 中孝介の前座として、にわかバンドは奮闘しまが、このコンサート前、印象的な虹がかかるシーンがあります。5通目のラブレターの最後の言葉の「虹の両端が海を越え、僕と君を、結びつけてくれますように。」を象徴するようなシーンです。
 中孝介は、奄美出身の人で、琉球の音楽をうたいます。奄美も戦後米軍統治下におかれ、本土復帰をはたしました。

 離れ離れの恋人同士の日本と台湾に、沖縄が虹となって二人を結ぶ。

 こんな視点から、海角七号を御覧になると、面白いと思います。