武蔵村山市議会議員 天目石要一郎(あまめいし よういちろう)の活動報告

利権屋や某カルト団体の政治圧力の暴走捜査などの嫌がらせにもめげず、利権や不正とたたかっています。

タイ カンチャナブリ 桑井川神社 例大祭にて

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 タイのバンコクから西に130キロほどの所にカンチャナブリという街があります。映画「戦場にかける橋」で有名なクワイ河鉄橋のある場所です。映画は史実とかなり異なっていますが、日本軍は物資の輸送のために、タイとビルマとの間に実質的な工事期間はわずか1年3ヶ月で泰麺鉄道を完成させました。
 この工事では、日本軍人、連合国軍捕虜、現地での雇用人の死亡率が1割から2割にも達するという壮絶な現場でありました。衛生状態が悪く、医療体制が整っていなかったため、マラリアコレラチフスなどで多くの方が命を落とされました。

 今から15年前、アジア和平日本委員会の方たちが、泰麺鉄道建設で亡くなられた方、先の大戦で亡くなられた方を偲んで、平和祈念公園を作られました。この公園内には御霊を奉るために桑井川神社が建立され、地元ではシントー(神道)パークと呼ばれ親しまれています。

 今は、のどかな田園風景がひろがり、多くの方が命を落とした場所とは想像がつきません。この、桑井川神社の例大祭にあたり、挨拶をさせていただきました。

 次のような挨拶をさせていただきました。


 第28回 例大祭にあたり、苦難の鉄道建設に従事し、命を捧げられた御霊に、そして先の大戦で命を失った方々へ謹んで哀悼の誠を捧げます。

 今から67年前の1942年7月から、泰麺鉄道の工事は行われました。穏やかなこの風景からは想像が出来ないほど過酷な状況での工事でありました。昼夜休む事なく続けられる建設工事、非衛生的な環境、食料や医薬品の不足の中で、多くの方がコレラチフスマラリアなどの病気で命をおとされました。命を落とされた方は、従事した方の1割とも2割とも言われるほどの惨状でありました。

 病で倒れるまで工事に従事し、病で苦しみながら治療されることなく死を迎えざるを得なかった方たちの、絶望感、哀しみや苦しみを思うに、哀悼という言葉だけでは伝えきれない感情が湧き上がってきます。

 日本やタイ、ミャンマーに欧米諸国、オーストラリアの将来ある多くの青年が夢と希望を絶たれ、この地に眠っています。この方達の犠牲の上で、今の私たちが生きているのだと言う事を片時も忘れる事はできません。

 泰麺鉄道の悲劇は、工事で亡くなった方だけではありません。私は終戦後、捕虜虐待の罪で処刑された方の遺書も、今回挨拶をさせていただくにあたり、読ませていただきました。
 捕虜のために精一杯の事をしたのに、死刑宣告を受ける不条理と無念さを受け入れ、刻一刻と迫る死刑執行に毅然と望まれる姿に神々しささえ感じました。

 ここに、28歳で処刑をされた弘田中尉の辞世を紹介させていただきます。

「まごころの道に貫く益荒男は 微笑み上がる絞首台上」

「国思う心は永遠に生きぬかん わが身はここに散りはつるとも」

 弘田中尉は、「死んだら霊となって、全ての人が毎夜楽しい夢を見れるようにしたい。」と書き残しておられます。

 残された私たちは、全ての人が安心して眠る事の出来る、平和な社会を維持し、弘田中尉の遺志が実現できるよう日々努力してゆかなくてはなりません。それこそが、泰麺鉄道に命を捧げられた御霊への慰霊となることでしょう。
 その、決意を新たにさせていただき、例大祭にあたり、私からの挨拶とさせていただきます。